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2012年4月18日水曜日

沖縄Daily Voice Imago Vol.2

Imago02

点と点を線で結んでいく。
単純に互いに繋がりを持たない要素を、じっくりみつめて。
最近こんなことを一人でよく考えてしまうんです。

僕の好きな言葉があります。
何処で聞いて覚えたのかはもう忘れたのだが、「飲水思源」(いんすいしげん)
と言って、意味は“水を飲むときはその源に思いを馳せなさい”と言う。
なぜかこの言葉が頭を離れない。 
点。

現在、僕は母親と一緒に暮らしている。目の前に西原町の史跡を臨む。
史跡名は幸地グスク。
点。

この幸地グスクにある説明札を読んでみると
『幸地グスクの城主は熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々から懼(おそ)れられていた。
熱田子は隣りの津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。
訃報を聞いた今帰仁按司は自ら仇討ちに出かけたが、熱田子の策謀にはまり、殺された。
その後、今帰仁按司の息子4人が兵を挙げついに熱田子を亡ぼした。』と書いてあるから
驚き。

800年前の当時、地域の統治を行政していた城主の按司というのはいわゆる豪族で、
悪い言い方を使って分かりやすく説明するとヤクザの様なもの。
日本歴史で言う所の侍とはちょっと違うイメージ。
按司は基本的に何らかの形で権力を手に入れた家族やグループが、その地域で最高の
物件を手に入れ、信仰対象である御獄(うたき)を取り込んで城下町を形成し、
ちょっとした都市の様な機能を抱えた地域の大地主だったのだ。

さて近年の研究によると、実は沖縄に数あるグスクの中で今帰仁グスクと言うのは
厳格な支配階級制度をもった“エリート”グスクであったらしい。
そんなエリートグスクに喧嘩を吹っかけたのが、現在、僕のお隣さんの幸地グスク。
しかも喧嘩をふっかけただけではなく、一回勝っちゃってるからウケる。
昔の人は強かですよ。

さて、そんな血なまぐさいドラマがあった幸地グスクも今はタクシーの運ちゃん用の
絶景昼寝スポットであり、深い木々に覆いかぶせられた小高い丘の上は、夏には
セミやクワガタ等が捕れるため、我が息子のお気に入りの遊び場だ。

そんな歴史の“水”を飲んで、その源に思いを馳せながらグスクの敷地内を我がもの顔で
遊び回る息子を眺めていると、如何に今の時代が平和なのだろうと思えてくる。
喧嘩っ早い幸地グスクの按司はこんな時代がくるとは夢にも思わなかっただろう。
ましてやその後、今帰仁グスクなんかよりもっと怖いアメリカ軍や日本帝国軍までが
押し寄せ、沖縄が第二次世界大戦の舞台となるなんて、全く想像つかなかっただろう。

しかしそんな平和な沖縄と裏腹に、戦争はまだ世界の何処かで行われていて、その理由も
貧困、土地、宗教などと様々。

これもまた何処で聞いたか覚えてませんが、
現在、世界中で起こっている戦争を人類が全て止め、その財と労力を宇宙開発に向ければ、
私たちは約10年足らずで月に住む事が可能であるという統計学的発表を耳にしたことが
あります。
幸地グスクの按司もびっくり仰天ですよ、これは。

“歴史”という点と“言葉”という点を結ぶ線に“世界平和”を見いだし、一喜一憂する
僕に向かって、木々のざわめきと虫達の声に紛れて幸地グスクの按司が言ってるような
気がします。
「喧嘩はつかれるよ。」って。
「命どぅ宝。」って。

今週約束していたビデオですが、手違いで今度に回したいと思います。
勝手かもしれませんが、楽しみに待ってて下さい。。。(苦笑)

沖縄Daily Voice Imago Vol.1

以前、友達の勧めでブログの記事を書くことになったことがあって(恥)
その時の記事を久しぶりに読んでみたら「おっこれいいんじゃない?」ってなったんで
ココにも載せますね (ゆっきー勝手にごめん!)

クリエーター系のブログとか載ってるからコッチも覗いてやってください!
沖縄Daily Voice

以下はその時に書いた記事の本文。。。



新年明けましておめでとうございます。
宮城です。

映像作家と言う肩書きを背負い込み『次の作品は構成中』ときり投げて、はや十年。
こんな自分がブログで自己紹介するのもなんですが、
とりあえず、今回はタイトルの説明しますね。

Imago (イマーゴ)
この言葉と出会ったのは十数年前。
当時つき合っていた彼女がふと「“イメージ”という言葉が持つ雰囲気が好き」
言ったもんだから、すぐそこで電子辞書を引っ張りだし、
語順検索で類似表現や関連する言葉があるかを探してみたら出て来た言葉。
当時使っていた電子辞書は数年前に息子にオモチャ代わりにされて紛失してしまったため、
今回は自分なりに説明しますね。

Imagoとは心理学の世界で、
幼少時代に愛する者(親等)に対する愛情が抑制されて形成し偶像化された感情のこと。
生物学的には、
チョウやガなどの昆虫の最終変態をとげて成虫なったものの意味。

映像作家として作品をひねり出そうとするときは何かとやはり自分と向き合う事が多いもの。
そして、その向き合う時間のなかで最も頻繁に思い起こてしまうのが子供の頃の記憶。
子供の頃は、本当に一日も早く“大人”になりたかった。
大人はかっこ良かった。
確かに子供にしてみれば親や大人に愛情や尊敬を感じるのはありきたりの感情かもしれないが、
自分の場合、それが少しばかり違っていた。

自分の場合、思い憧れるのは自分自身の未来予想図であり、
大人になって夢を舞台に生きている自分自身の姿だった。
雲の上の大人になった自分自身。

多分これは離婚して家を出た父からの影響があるのかもしれない。
もとからカンシャク持ちで、ガソリンの様にふとした事がきっかけで
引火してはすぐに鎮火する親父とは馬が合わず、
そんなに深く交わることも少なかったからなのだろう。

時をみつけては大きく、かっこよく成長した自分の姿を想像し、
未来に期待を膨らませたものです。

しかし現実はやはり上手くいかないものですね。

そんな中である日、とうとうこんな自分にも息子が出来ました。
それはいわゆる“出来ちゃった婚”で、気がつけば隣に自分の分身がいました。
びっくりですよ。

予定も立てずに人の親になってしまったモノだから、ここからが大変。
家庭の為に収入を安定させなくてはならない。
この子が成長して立派な一人の人間になるためにも自分がしっかりしなきゃいけない。
親としてのプレッシャー。
夢を生きたい。
一日も早く、一人前の映像作家にならなくては。

しかし思いとは逆に空回りするのが現実というもの。
映像作家というものの、収入はピンキリで安定感は全くゼロ。
低収入が招く離婚の危機。
一時期は一年以上も仕事にありつけなかった。
不安定要素ばかりを抱え込んだ自分のこれからの道をケッコー悩みましたよ(笑)。

子供の頃に思い描いていた大人のイメージとはかけ離れて違う自分が大人(成虫)になってた。
「こんな親でごめんな。」と息子に向けて心の中でつぶやく。

そんな己を嘆き憂いている自分のもとへ、息子が甘えて近寄って来ます。
「遊ぼ」って。

大人になると、どうしても理屈っぽくなり、合理性や便利性を優先に選んでしまうことが多く、
しかも過去に捕われがちですが、息子の彼の愛情には理由なんかありません。

その時気付かされました。
自分は自分で造った自分に押し込まれていたのです。
息子にしてみれば親父は親父であり、それは普遍的な存在として
過去も未来も関係なく偉大な存在なんですね。

大人<成虫>になった少年は
思い描いていた自分自身の未来想像図<イマーゴ>によって本当の自分を失いかけていました。

現在、僕自身からすると、このimagoと言う言葉は呪いでもあり、賛美でもあります。
その理由は、人生って何があるかわからないじゃないですか?
明日は雨が降るかもしれないし、晴れるかもしれない。
でも天気予報で「晴れ」って言ってたのに実際のところ雨降ったりしたからって
落ち込んじゃっても意味ないと思いません?
それが人生って、思いませんか?
僕は今、そう思います。

さて、しょっぱなから重たい題材をテーマに初の記念すべきブログをかいた宮城ですが、
次回は少し軽く(笑)歴史と自分の好きな言葉について書いていきたいと思います。
ビデオなんかも添えて。
お楽しみに。。。


Laterz…

KRIS KUKSI

Unless you've been completely ignoring every art related websites, then there's no-way you never heard about this guy by now.
but if you are one of those who have never heard about Kris Kuksi, then here you go.
kuksi.com/
I first noticed this guy a couple of years back while I was browsing through DeviantART.

Check out this guys sculptures first...
you can thank me later...lol

クリス クックシィ
海外のアングラでは結構有名になって来てたカレ。
チョット前までは本当に無名だったのが、
今ではサイトに「パンズ•ラビリンス」や「ヘルボーイ」シリーズを手掛けるギレルモ・デル・トロ監督から推薦文書かれちゃってるし。。。
いいなぁ、、、、、(ため息)

とにかくこの人の彫刻(?)造形物(?)をみてください!

kuksi.com/

Taco girl

Starting post for the art contents.
Here is taco girl.
I originally started this piece with the intention to draw something gory and fun to look at. Now it's one piece of the "Okinawa" series .

2011年9月14日水曜日

In the Cut, Part I: Shots in the Dark (Knight)



A very very educational video of film editing.

2011年9月12日月曜日

宝物

中学のとき、体が大きくて空手やってたからなのか、体育の柔道授業のフとしたキッカケで
柔道部に頼まれて中部大会の試合に出場したことがある。
たしか団体戦の中堅をやらされたような記憶がある。
とにかく負けん気だけは人に劣らないって自分で自覚してたから例え初めての柔道の公式試合でも怖くなかった。
 試合が始まって、自分の前の番の人が負けたのは覚えている。
いざ自分の番が回って来て、相手の顔を見た時「絶対投げてやる」って思った。
 だが、自分の試合が始まって立ち回りをした瞬間、相手が生半可のヤツじゃないことが分かった。
めちゃくちゃ長い試合で気がつけばお互いぐったり疲れてて一瞬も気が引けない状態の時に
相手の小内刈りで体制を崩されてそのまま寝技に持ち込まれた。
暫く床上で交戦してたが、気がついたら自分が花畑にいたのを覚えてる。

いつの間に花畑に行ったのか、なぜ自分がココにいるかは全く分からない。
完全に自分を見失ってる時に、唯一心のどこかで「違う、何かが違う」って感じたのを覚えてる。

 無音の花畑が徐々に色あせ、会場の歓声が少しずつクリアになりかけてた時に、
対戦相手が自分の背中から首を絞めているのがわかった。
ヤバい、と思って対戦相手を背中に乗せたまま渾身の力で持ち上げた。
その時の会場の驚きとも捉えられる歓声は今でも忘れない。
 正直、「危なかった」と思った。 
柔道の公式試合は5分だ。でも自分の中では2時間以上も戦っているかの様に感じた。 

体制を整えてもう一度組み直した。 
だが、その後あっけなく一本背負いで投げられて試合が終わった。死ぬほど悔しかった。

あとから聞いた話で自分の対戦相手が全国大会レベル校の副主将だってことがわかって悔しい気持ちが嘘のようにスッと消えた。
「勝てる訳無いじゃん」って。
でもその翌年、自分が出場した中部大会の試合を終えた柔道部から、「あの副主将に、あの強いヤツはいないのか?って聞かれたよ」って教えられた。
試合の一年後、あの副主将の言葉がキッカケで今の自分がいる。

2011年4月1日金曜日

"Iron" from WOODKID


I always found it impossible to produce a image of a grand spectrum (such as a war) with a limited source of subject materials... In the case with this video, I can almost see the entire "war zone" stretched beyond the horizon where billions of foot solders clash below the the thick could of fighter planes and giant bombres rendering the entire world to a dark gray mist of confrontation. Of course in this case the music does play a significant role in the atmosphere. But even then, the random selection of "rebellion" forces beautifully portrays the simple and powerful image of the "fight for freedom"....

I guess I'll have to watch this over and over to capture the "essence" of this massive awesomeness! lol